東法人会 会報 №88
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13 一昨年の「和食」に続き、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産として昨年11月26日、日本の手漉(てすき)和紙技術が登録されました。登録対象は石州半紙(島根県)、細川紙(埼玉県)と本美濃紙(埼玉県)の3件で、いずれも楮(こうぞ)の繊維を原料として伝統的な製法を用いた手漉きで作られています。我が国の伝統的な「和文化」が2年連続して世界から高く評価された次第ですが、改めてその良さを再認識した日本人も少なくないと思われます。この3件以外にも全国には手漉きで作られる和紙は数多く、登録されていないから貴重なものではないというのは早計です。近くでは鳥取県の因州和紙が有名で、特に書道に使う高級画仙紙は日本一の生産量を誇っています。また、高知県の土佐和紙も知られていて、同県いの町にある「紙の博物館」を訪れる人も少なくないようです。もちろん岡山県にも優れた手漉き和紙があり、倉敷市水江地区で生産される「備中和紙」は特にかな書家に愛されていますが、昭和53年から55年にかけて東大寺昭和大修理の際に丹下哲夫氏が製作した「東大寺昭和大納経用料紙」は、技の高さが全国に知られました。また、紙幣の原料ともなっている三椏(みつまた)を原料として津山市横野地区で作られている「津山箔合紙(はくあいし)」は薄くかさばらず表面が滑らかなため金箔や銀箔を挟む箔合紙としては日本一とも言われており、京都や金沢の金箔工芸作家には必需品となっています。 さて、和紙といえば、和文化の代表的な「書道」で、岡山県美術展でも圧倒的な数の作品が寄せられています。岡山県の書道界は、漢字、かな、調和体、前衛、篆刻(てんこく)、そして5年前からは「刻字」の分野も誕生し、中四国では最もバラエティに富んだ書道県となっています。岡山市内中心部を歩くとき、欧州の文化的習熟度を感じさせる洒落た看板とは比較にならない、統一の取れていない様々な看板が林立する中で、日本を感じさせる「書」の看板に和文化の存在感を感じます。空を仰げば電線が目に付き、とても先進国とは言えませんが、「書」の看板や標識に心が和みます。筆で書かれた文字には、うるおい、優しさ、あるいは逞しさ、几帳面さ、厳格さなどを感じさせます。お店の看板や品物の筆文字には作者が推測されるものがあります。例えば、岡山市北区野田屋町にある書道用具専門店の西文明堂の立て看板「飛雲」の商標の書は井上桂園(現在の倉敷市真備町出身、岡山県の書壇に大きな影響を与えた)のもので、雄渾な筆跡そのものです。同店の中には、同じ桂園の手になる「群賢畢至少長咸集(ぐんけんことごとくいたりしょうちょうみなあつまる)」(王羲之「蘭亭叙」より)の横額があります。これは、桂園の書を板に写し、鑿(のみ)で刻み着色した「刻字」です。 そもそも紙が発明される1千年前には、文字は石や青銅器などに刻まれ、金石文(「金」とは青銅の意味)と言われています。文字を石に刻む歴史は今日まで続いていて、例えば、幾度も架け替えられた岡山市のシンボル橋、「京橋」西詰めには1892年11月に岡山市の市制施行後の初の社会事業として立てられた「迷子しるべ」が残っています。この道標を頼りに多くの人びとがすがるような思いで行き交ったことでしょう。近くには「岡山県里程標」、「住宅顕信の碑」、「熊沢蕃山書状として刻まれた石碑」が集まっています。因みに、「京橋」の東西の書体は漢字でどっしりと書かれたもの、また、「きやうはし」とかなで書かれたゆったりとしたものなどと変化を持たせており、文化を感じさせます。京橋からあなたはどんな「明日に架ける橋」をイメージしますか。公益社団法人岡山県文化連盟アドバイザー 曽田 章楷文化探訪シリーズ⑤「飛雲」の看板迷子しるべ住宅顕信の碑岡山の広告物を生かす

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