東法人会 №103
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何かないかな? 歩いて探そう旧岡山市内その④ 明治・大正時代に公徳を実践した萬納屋利吉『元石関小僧』こと三村康彦です。今回は明治・大正期の市井の偉人「坪田利吉」のお話です。 坪田利吉さんは、明治3(1870)年に備後府中(今の広島県府中市)に生まれ、天涯孤独、不遇な幼少期を過ごし、10才の時に熱心な法華信者に助けられ、千ヶ寺参りをしながら全国を歩き、21才で岡山の蓮昌寺に仏縁を結びました。 『薄幸の身ながら飢え死にもせず、成人できたのも仏様のご加護、多くの人の情けのおかげ。これからは恩返しに生きよう』と、小柄な体で日用品を山の様に積んで大八車を引き、行商をして得たわずかな利益をコツコツ貯め、市内の全小中学校に二千本以上の傘を寄附し、貧しい旅人のために無料宿泊所を建てました。さらには、西川(枝川:清輝橋付近)に掛る石橋、東山公園の石のベンチ、市内12カ所にも及ぶ火の見櫓(警鐘台)の寄贈など、蓄えを自分のためにはつかわず、みんなの幸せのために寄附する・・・これこそ喜捨、大乗仏教を体現した「聖者」と人々から褒め讃えられたそうです。 ちなみに、「萬納屋」とは「なんでも扱っている」という意味で、坪田利吉さんの行商の屋号です。◆ 坪田利吉さんの遺徳をしのぶ…現在も残る寄付された史跡あれこれ(令和4年7月現在)〇火の見櫓(警鐘台)○ 奥市野球場(8基)・東山公園(3基)に現存設置されている石のベンチ○西川(枝川:清輝橋交差点北北西角)に掛けられた石橋〇東法人会管轄区域内 各史跡の所在地図○法華伝奇集にみる説話集 (国立国会図書館蔵書より)○蓮昌寺に建つ遺徳を示す彰徳碑京橋『火の見櫓(京橋警鐘台)』(寄贈した12基の櫓の内唯一現存する)蓮昌寺敷地内(法要殿裏)の石碑と説明看板奥市野球場本球場 レフト外野付近(他7基)岡山電気軌道 東山電停東 東山公園内(他2基)現存する『第一まんのうやはし(万納屋橋)』(清輝橋交差点 北西)当時の石橋はないが 名称が現存する『第二まんのうや橋』(第一まんのうや橋から北へ50M)京橋-火の見櫓(警鐘台)蓮昌寺-彰徳碑東山公園石造ベンチ(3基)清輝橋-枝川まんのうや橋(1・2)奥市-野球場本球場石造ベンチ(8基)『法華伝奇集 模範的信徒 萬納屋利吉翁/421P-435P』https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1214086/227出展:国立国会図書館デジタルコレクション--15

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